少子高齢化の「本当の問題」――目に見えない心の痩せ

鷹宮龍信です。

ニュースやSNSでは毎日のように「少子高齢化」「人口減少」「年金問題」という言葉が飛び交っています。
でも、こうした言葉を何度聞いても、どこか自分とは少し距離があるように感じてしまう人も多いのではないでしょうか。

だって、自分が生きている間はなんとかなるかもしれないし。
百年後の日本なんて、正直イメージがわかない——。

もし、日本から「未来を本気で考える人」が、静かに・ゆっくりと消えていったら、社会はどうなっていくのか。
少子化は「人手不足」や「年金の不安」だけの話ではありません。
もっと深いレベルで、“心の痩せ” が進んでいると、僕は感じています。


目次

少子高齢化は「人手不足の問題」だけではない

多くの人がイメージする少子高齢化のデメリットは、とても分かりやすいものです。

  • 働き手が減る
  • 年金や医療・介護の財源が足りなくなる
  • 税金や社会保険料の負担が増える

これらは、ニュースや解説番組で何度も説明されている「見える問題」です。
もちろん、どれも現実的で深刻です。

たとえば、

  • 医療や介護、物流や建設、保育の現場で担い手が足りず、待ち時間が伸びる
  • 安全や品質のための「余白」が削られ、現場の人も利用者も消耗していく
  • 税収と社会保障のバランスが取りにくくなり、負担は増えるのに、給付は絞られやすい

地方ではさらに分かりやすく、

  • 学校が統廃合され、通学時間が伸びる
  • 商店街が空洞化し、車がないと生活しづらい
  • お祭りや消防団、防災訓練などの地域の担い手が見つからない

といった「生活の不便さ」として現れます。
若い挑戦者が減れば、新しいビジネスや投資も起こりづらくなり、経済全体の新陳代謝も鈍ります。

空き家は増え、インフラの更新費用だけは膨らんでいく。
家族の中では、介護の重さが一人に偏り、心身の余力を奪っていく——。

こうした現象は、すでに日本各地で静かに進行しています。

それらに加えて、労働力の穴を埋めようとすれば、外国人労働者や移民の受け入れは避けられません。
治安・教育・医療・社会保障の制度設計をどうするか。
地域コミュニティとの摩擦をどう防ぐか。
これは、運用を間違えれば「対立」と「分断」を生むテーマです。

ここまでが、誰もがイメージしやすい「少子高齢化の表の問題」です。
しかし僕は、これらを重ね合わせてもなお、もっと深い層にある“心の問題”の方を恐れています。


僕が強く感じる「心の痩せ」とは何か

私はいま、日本の少子化・少子高齢化について、
数字やグラフの問題よりも先に、“心の痩せ” を強く感じています。

人手不足や年金不安といった「見える課題」は確かに深刻です。
でも、本当に怖いのはそこではありません。

未来を自分ごととして考える人が、ゆっくり減っていくこと。
この国の行く末に対して、私たちが払う「想像力」と「責任感」の総量が、
目に見えないまま痩せていくこと——。

これこそが、少子高齢化社会の「本当の問題」だと、僕は思っています。


子どもを持ってから変わった「時間のスケール」

僕には子どもがいます。

正直に言うと、子どもを持つ前の自分は、
政治・治安・社会保障・憲法・財政…こうした話題に対して、

「自分一人が騒いでも、どうにもならないし」
「百年後なんて、自分は生きていない」

と、どこか他人事として距離を取っていた部分がありました。

ところが、親になってから、これらのテーマは一気に“自分の番の仕事”に変わりました。

  • 十年後、この子はどんな学校に通っているだろう?
  • 二十年後、この国の治安や税金、物価はどうなっているだろう?
  • 三十年後、働く世代は今よりもっと少ない。その中で、この子はどんな負担を背負わされるだろう?

こうした想像が、いやでも頭をよぎるようになりました。
つまり、「時間のスケール」が急に伸びたのです。

もし子どもがいなかったら、
僕はおそらく、

「未来は未来の人がなんとかする。自分の人生をなんとか回せればいい」

と、自分の生きている数十年だけを見ていたかもしれません。

そう考えたとき、僕は少子化の「本当の問題」に気づきます。
次の世代を直接的に感じる機会が細り、未来を思いやる視線そのものが、社会全体で薄くなっていく。

これは、ニュースや統計にはなかなか現れない、静かな劣化です。


「当事者」の減少が生む、見えない劣化

ここで一つ、誤解されたくないことがあります。

  • 子どもがいない=悪い
  • 子どもがいる=えらい

といった話をしたいわけではありません。
子どもを持たないという選択は、尊重されるべき個人の決断です。
経済状況、キャリア、健康、家族事情…それぞれの人生の文脈があります。

ただ、事実として、「次の世代を直に感じる経験」は、意思決定の重さを変えます。

  • 長期のルールづくりに伴う痛みを「いま」引き受けるか
  • 教育やインフラへの投資を「自分の番」に選べるか
  • 地域の学校・公園・図書館を「次に育つ子どものために守る」と、心から言えるか

こうした一つひとつの選択は、結局のところ、

未来を自分ごととして感じられる人が、社会の中にどれだけいるか

で変わってきます。

少子化が進み、未来の当事者を身近に感じる機会が減ると、社会はどうなるか。

  • 「将来世代のための痛み」は、今の自分とは関係ないと感じやすくなる
  • 「将来への投資」より、「今の負担減・今だけの得」を優先したくなる
  • 結果として、先送りとツケ回しの連鎖が、当たり前になっていく

僕は、この “心の筋力”の劣化 こそが、目に見えない最大の実害だと考えています。


外国人労働力・移民をどう語るかも「心の設計」次第

少子高齢化の議論では、必ずといっていいほど、
「外国人労働者」「移民」「留学生の受け入れ」といったテーマが出てきます。

誤解のないように言えば、
外国人労働力の活用自体は、決して悪いことではありません。

  • 適切な制度設計とルール
  • 現場の負担を減らす仕組み
  • 子どもたちへの教育環境

これらを整えた上で、うまく運用できれば、
社会全体の活力と多様性につながる可能性は十分にあります。

問題は、「誰かに負担を押しつける前提で話が進んでしまうこと」です。

  • 人件費を抑えるためだけに、使い捨て前提の労働力として扱う
  • 言葉も文化も分からないまま現場に放り込み、教育やサポートが追いつかない
  • 地元住民の不安や不満を無視したまま、「国の方針だから」と押し切る

こうした運用は、
日本人側・外国人側、両方の心を傷つけます。

だからこそ、移民や外国人労働者の議論も、
感情論ではなく「設計」で語る必要があると僕は思っています。

  • どの分野で、どのくらいの人数を、どんな条件で受け入れるのか
  • そのコストを誰が負担し、どんなリターンを社会として期待するのか
  • 日本で育つ子どもたちに、どんな教育環境と治安を残したいのか

これらを、「未来の当事者」の目線でデザインできるかどうか。
ここでもやはり、未来を自分ごととして感じる人の数と質が問われます。


「誰が悪いか」ではなく、「誰が当事者になるか」

少子高齢化の話になると、
どうしても「誰が悪いか」という責任追及が始まりがちです。

  • 若者のせい
  • 政治家のせい
  • 高齢者のせい
  • 大企業のせい
  • メディアのせい

もちろん、制度設計や政策に問題があるのは事実です。
でも、「犯人」を探すことにエネルギーを注ぎ続けても、
状況は一ミリも良くなりません。

僕がしたいのは、誰かを責める話ではありません。

敵探しをやめ、当事者を増やすこと。

ここに、少子化・少子高齢化の議論の焦点を据えたいのです。


僕がまず始める「小さな投資」

では、僕自身は何から始めるのか。
大きな政策提言でも、壮大な運動でもありません。

1. 子どもの「時間」に投資する

月に一度でもいい。

  • 図書館に一緒に行く
  • 学校の公開授業に顔を出す
  • 地域の学びの場に、親として、小さく関わる

直接お金を配ることはできなくても、
「時間」と「関心」を子どもに向けることは、誰にでもできる投資です。

2. 家でも仕事でも「五年先」を口癖にする

何かを決める前に、こう自問してみます。

「これを選んだとき、五年後の自分と、子どもと、地域はどうなっているだろう?」

たった一分でもいい。
五年先の姿を想像する時間を挟むだけで、選ぶ言葉や行動は変わります。

言葉は意思を育てます。
だからこそ「五年先」という言葉を、意識的に口に出すようにしています。

3. 感情ではなく「設計」で語る癖をつける

  • 移民
  • 社会保障
  • 税金
  • 教育

どのテーマも、感情が先に立つと議論が止まります。

だから僕は、できるだけ

  • 前提条件を紙に書き出す
  • 「もしこう決めたら、誰が・いつ・どれくらい負担するのか」を数字で見る
  • 「例外」をどう扱うかも最初に考える

という手順で考えるようにしています。

問題を「人」ではなく「制度」に置き直すと、
不思議と議論は前に進みやすくなります。

これらは、親かどうかに関わらず、誰にでもできる歩みです。
未来を自分ごと化する回路は、生活の中に作れる。僕はそう信じています。


結論:少子高齢化は「制度の問題」であり、「心の問題」でもある

改めて整理すると、少子高齢化には二つの層があります。

  1. 制度としての問題(見える問題)
    • 人手不足
    • 年金・医療・介護・教育・インフラの財源
    • 地方の過疎化とサービス低下
    • 外国人労働力・移民政策の設計の難しさ
  2. 心としての問題(見えにくい問題)
    • 未来を自分ごととして考える人の減少
    • 「五年先」「十年先」を想像する筋力の低下
    • 当事者意識が薄れ、先送りとツケ回しが常態化すること

一般に語られる「少子高齢化の実害」は、
生活の質と持続性を確実に削ります。
しかし、本当の問題はそれだけではありません。

未来を自分ごとにする人が減っていくという、“心の痩せ”。

解決は、一足飛びにはいきません。
少子化対策も、社会保障改革も、移民政策も、
どれも時間がかかるテーマです。

それでも、
当事者を増やす小さな実践は、今日から始められます。
僕も、まず自分の生活圏からやります。

もしこの話の中に、どこか一つでも頷ける部分があったなら、
あなたの生活圏でも、ぜひ 「五年先を話す一分」 を作ってみてください。

  • 家族と
  • 友人と
  • 職場の同僚と
  • あるいは、自分自身との対話でもいい

その一分が、
次の世代に届く道を、ほんの少しだけ太くしてくれます。

僕は本気で、そう信じています。

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